牛乳石鹸で洗い流せるもの

話題性の高さから多数のアクセスを期待しつつ頑張って書いたこの記事

momoo-law.hatenadiary.jp

が、思いのほかアクセスを集めず凹んでいます。原因を分析したところ「時機を逸した」という結論に至りましたので、どうせならもっと最近の話題に便乗するべく、こちらをテーマに考えてみます。

www.youtube.com・・・これも乗り遅れてしまったような気もしますが。

ご覧にならないと訳が分からないでしょうからともかくご覧いただくことにして、ここではCMの説明は省きます。
このCMを見た私の率直な感想は、こういうものでした。


ところが、私のtwitterのTLを観測した限りではありますが、これとは異なる解釈をされている方(その上でこのCMを強く批判されている方)がとても多く少々驚きました。

それらのご意見に目を通していくと、その解釈やCMへの評価を分ける大きなポイントは、この夫(一般的な意味での「夫」と区別するために、ここでは新井浩文さんの演技力に敬意を表し「新井夫」といいます。)が「普段から憮然としてゴミ捨てをしたり子供への愛情を示さなかったり仕事にかまけて家庭を後回しにしたりする夫」であると捉えるのか、「普段は優しく家庭を大切にしている(少なくとも努力して表面上はそのように振る舞っている)が、このCMが描いた日だけ違う態度をとった夫」であると捉えるのか、であると思いました。

概ね以下の理由から、私は後者のように解釈しました。
(1)妻が新井夫にケーキやプレゼントの購入を頼む様子が、ごく自然であること(日常的にそのような依頼をし、それを新井夫が快く受け入れていたと想像できること)
(2)新井夫のスマホ待受け画面が家族写真であり、新井夫も笑顔であること
(3)飲みに行ったきっかけは、上司から説教を受け落ち込んでいる後輩を歩道橋の上から見かけたという偶然の出来事であったこと(突発的・衝動的に思いついた行動であったこと)
(4)子の誕生日夜に飲んで帰宅した新井夫を責める妻の台詞に「『また』大事な日に飲んできたな」というニュアンスがなかったこと(新井夫がこのような行動をとったことは初めて、又は多くないと思われること)

とすれば、このCMの当日は、新井夫が「家族に対しこれまでとは違う様子を示した日」であることになります。
そして、こうした態度の変化やその(無)表情から、かなり「心が疲れている」ことがうかがえます*1
また、CMの描写からは、その理由は、新井夫が、父の振る舞いや教育方針をベースとする自身の「父親像」と現在の「家族に優しい」自分とのギャップに悩んだからであると想像できます*2

もちろん、これらは私の勝手な解釈であって、まるっきり読み違えているかも知れません。通常より長いとはいえCMという超短編であり情報量はかなり少ないですから、様々な解釈が産まれるのは当然のことです。そのため、CMという方法でこうしたメッセージを発するべきであったかなど、「炎上」した理由は色々と考えられるところです。

さて、ここまで長々「分析」してみましたが、私はこのCMを見て、「CMとしての是非」よりも、この新井夫のように「いつもと違う様子」を示す人物に対し、周囲の人間(妻や同僚や上司、そして相談を受けた弁護士)はどのように接すれば良いか、が気になりました。
そこで、CMとしての評価は置いておき、上記私の「解釈」のような事態が身近で現実に起こったと仮定して、とるべき対応について考えてみます。

この新井夫に対し、多くの方が(おそらくその多くは妻のお立場から)、「甘えに過ぎない」「結婚する資格がない」「妻は悩んでいても逃げるという選択肢がない(妻が同じように振る舞えば子が死んでしまうこともあり得る)のだから不公平だ」といった趣旨の批判をなされていました。・・・いずれもそのとおりです。妻として、新井夫の態度や行動を許せないのは当然のことです。ですから、夫(や妻)が新井夫のような行動をとった場合、多くの場合(程度はともかく)非難が妥当するでしょう。

ただ、私はこのCMを見て、人気ツイッタラーであり今や人気ブロガーでもあるローカス先生のこのツイートを思い出しました。事情が完全に一致するわけではありませんが、「いつもと(マイナス方向に)行動・態度が違う」という点は新井夫にも当てはまりそうです。

togetter.com

身体的な体力はもちろん、「心の体力」も人それぞれです。
同じ負荷であっても、余裕で対処できる人もいれば、そうでない人もいます。弱点となる負荷も人それぞれです。受験は難なくこなしたけれど、仕事のストレスに敏感な人(やその逆)もいます。仕事や勉強の経験(の質や量)、人間・家族関係(新井夫の場合は父親像)、身体的事情など、個々の「心の体力」の強弱の理由も様々です。
そして、「心が疲れてしまった」理由の合理性の有無や、それに起因する当人の行為が正当化できるか否かと、「とにもかくにも疲れてしまった心をどうケアするべきか」と
は別問題です。

新井夫の悩みは前時代的なものであったといえますし、彼の行動は確かに非難に値するものでした。
しかし、彼の「心が疲れてしまっていた」のであれば、その心にはケアが必要です。
その取り得るケアの一つとして「とりあえずゆっくり風呂にでも入ってこい」が効く場面もあり得ると思うのです。

弁護士という仕事をしていると、依頼者であれ相手方であれ「心が疲れてしまった」と思われる人の話を聞く機会は少なくありません。このCMは、そんな方に如何に接するべきなのかを考える機会となりました。

・・・というブログを書きながら、別の画面で「滞納管理費等を直ちに支払え」という内容証明を作成しています。優しく接すべき場面とそうでない場面があるという単純な話かも知れませんね。民泊新法のブログの続きも早く書かなければ・・・。

*1:鬱も含む趣旨ですが、私は正確な知識を持ち合わせておりませんし、鬱に至らない場合も含めて考えたいため、このように表現します。

*2:なお、「『憮然としてゴミ捨てをしたり子供への愛情を示さなかったり仕事にかまけて家庭を後回しにしたりする』くせに『家族に優しい』と自称するなんてとんでもないヤツだ」という批判も多く見受けられました。しかし、やはり私は上記のとおり、「実際に普段は優しい」からこそ新井夫は「家族に優しい自分」と自己評価し、その自己評価と「家族に優しくなかった自身の父による父親像」とのギャップに悩んでいたのだと考えています。