秀和幡ヶ谷レジデンス管理組合法人について(5) -本案訴訟控訴審判決- 勇者ヒンメルの死からn年後のご報告

皆さんご無沙汰しています。

・勇者ヒンメルの死からn年後の2021年11月に京王プラザホテルで開催された秀和幡ヶ谷レジデンス管理組合法人通常総会における役員交代劇
・2022年4月に認められた同管理組合法人46期理事の職務執行を停止する仮処分
・2023年9月5日に言い渡された、この法律関係を確定させる「46期理事等が、秀和幡ヶ谷レジデンス管理組合法人の理事等の地位にないことの確認を求める訴訟」(「本件本案訴訟」)の第一審勝訴判決
これらについては、前回までにご報告したとおりです。

momoo-law.hatenadiary.jp

この一審判決に対し46期理事4名(補助参加人)が控訴していたところ、2024年3月14日、これを棄却し、第一審の判断を全て維持する控訴審判決が言い渡されました。

46期理事4名が既に控訴審判決に対し上告受理申立てをしたとの情報を得ています。
しかし、これが認められるための要件を本件が充たしているとは考え難く、不受理決定がなされると予想されます。

したがって、(法的には不受理決定を以て確定しますが)本件本案訴訟は、上記控訴審判決にて実質的に確定したといえそうです。

勇者ヒンメルの死からn年後(有志の皆様におかれてはn-数年後)に始まった我々の冒険は、フリーレンの人生の百分の一にも満たないものではありましたが、n+3年後にようやく一つの節目を迎えることができました。その百分の一がこのマンションを変えたのだと思います。

この仕事をしていると、しばしば「区分所有は人間には早過ぎた」と思わされ苦しむこともあるものの、「勇者ヒンメルならそうする」とつぶやきながら、これからもマンションと人間を知る旅を続けようと思います。

アウラ、規約を読め。

秀和幡ヶ谷レジデンス管理組合法人について(4) -本案訴訟一審判決-

秀和幡ヶ谷レジデンス管理組合法人46期理事の職務執行を停止する仮処分と、これに対する一連の異議申立ての経過は、これまでご報告していたとおりです(以下、これらを「本件保全手続」といいます。)。

分かり易さを重視するべく詳細は割愛し雑駁にご説明すると(この点は本ブログ全般に当てはまりますので、ご了承ください。)、保全手続は「比較的簡易・迅速に法律関係を仮に定めるもの」であるところ、本件保全手続は↑の前回記事のとおり当方の主張が認められて事実上終了しています(最高裁への特別抗告がなされていますが、その法的要件を充たすとは考え難いといえます。)。

今年9月5日、本件保全手続と並行して行われていた「46期理事等が、秀和幡ヶ谷レジデンス管理組合法人の理事等の地位にないことの確認を求める訴訟」(こちらは通常の訴訟です。上記性質のある保全手続との関係では「本案訴訟」と呼ばれ、法律関係が確定されるものです。以下、こちらを「本件本案訴訟」といいます。)の第一審判決が、ようやく言い渡されました。
争点や証拠関係は本件保全手続とほぼ同じであるため当然ではあるのですが、後述のとおり原告(当方)の主張が全面的に認められました。

なお、本件本案訴訟においては、
原告:組合員1名(代理人弁護士:桃尾)
被告:管理組合法人
補助参加人:46期理事4名
という構造がとられていました。これは理事等の地位の不存在確認訴訟において実務的に採用されているルールとお考えください。
もっとも、ここでいう管理組合法人の代表者や理事は既に原告の賛同者が占めておりますので、同法人は被告として本件本案訴訟において一切原告の主張を争っておらず、事実上「原告vs補助参加人ら(46期理事)」という構図となっていました。
また、判決には補助参加人ら以外の「関係者」が登場します。この方々は、本件本案訴訟に積極的に関与していないものの、下記の事情から、原告が地位の不存在の確認を求める対象として含めた方々です。

判決
⑴補助参加人Aが、被告を代表すべき理事及び理事の地位になく、その権利義務も有しないことを確認する。
⑵補助参加人B、C、D及びEが、被告の理事の地位になく、その権利義務も有しないことを確認する。
⑶関係者Fが、被告の監事の地位になく、その権利義務も有しないことを確認する。
⑷関係者Gが、被告の理事の地位にないことを確認する。
⑸関係者Hが、被告の監事の地位にないことを確認する。
⑹原告の請求のうち、関係者Iが被告の理事の地位にないことの確認を求める部分に係る訴えを却下する。

冒頭述べたとおり、これらは原告の主張を全面的に認めるものです。
上記「その権利義務も有しない」は、本件の端緒となった2021年11月開催の通常総会時点で、既に46期理事・監事の任期は満了しており、いわゆる「権利義務理事・監事」であったことによります。
補助参加人Aが46期理事長であり、B~Eがその当時の理事です。
関係者Fは、46期監事を務めていた人物です。「直接業務執行を担っていない」という監事の特徴から、本件保全手続の対象としていませんでしたが、本件本案訴訟ではその地位の不存在の確認を求めました。
関係者G及びHは、上記総会において46期理事が新任として推薦した理事・監事候補者です。46期理事が「この総会では、自分たちが上程した議案が可決された」との主張を維持したため、それを否定するべくこのお二人の地位の不存在の確認も求めていました。
関係者Iは、途中で自ら辞任を表明した方です。これにより「確認の利益がない」という理由で原告の訴えが却下されました。

追って争点やそれに対する裁判所の判断についても解説したいと考えています。

また、原告が迅速な進行を求め続けていたにも関わらず、結果的に本件本案訴訟提起からこの一審判決まで、想定していたよりもかなり長期間がかかってしまいました。その事情についても可能な限り(日本の訴訟制度一般の問題でもあることから)ご紹介できればと思います。

なお、補助参加人も控訴することが可能ですから、その場合には対応します。

前述のとおり管理組合法人は既に新体制に移行しており、「一般的な(又はそれ以上の)」管理がなされていると聞いていますが、本件本案訴訟が続いていることによる弊害も残っていますので、引き続き終局的解決に向けて努力して参ります。

管理組合と自治会におけるコミュニティ活動に関する東京高裁令和5年5月17日判決について_⑵

前回記事にて大事なことを書き忘れていました(先ほど、しれっと加筆しておきました。)。マンション管理新聞によると、本件高裁判決について「双方ともに上告する考え」であるようです。

では、双方当事者は、最高裁においてどのような主張を展開するのでしょうか。
率直に言って、私は本件高裁判決に納得していませんので、本件管理組合の視点で検討してみます。

前回記事の「本件高裁判決の判断」「争点③」をご覧いただけば分かるように、本件高裁判決の「肝」は、
>争点①
>イベント等活動が、区分所有法3条の「管理組合の目的」の「範囲内」であるか否か
にあります。
争点①の結論が維持されたのであれば、争点③の結論もほとんど維持されたはずです。

両判決の争点①に係る結論を比較してみます。
>本件地裁判決の判断
イベント等活動も、その目的・内容によってはマンション・周辺環境の維持向上に資する活動として「範囲内」となる場合があり得る。
>本件高裁判決の判断
⑴イベント等活動は、専ら地域住民の親睦を図るのが目的であり、イベント参加者という一部の者のみが利益を享受するものである。
⑵イベント等活動は「範囲外」である疑いがある。

本件管理組合は、この点に係る本件高裁判決の不合理性を最高裁に理解させなければなりません。
難しいのは「イベント等活動の意義」自体をいくら主張してもあまり意味がなく、それを「自治会ではなく管理組合が、その決議に基づき、決議反対者の意思に反してでも、その資金を使って」行うことの意義を説明しなければならない、という点です。
というのも、本件高裁判決も「イベント等活動が有害である」とは述べておらず、おそらくそれらが「地域住民にとって有意義であること」は否定していないからです。

本件管理組合代理人の先生方が既にご検討されているでしょうから大変僭越ではあるのですが、私なりに考えてみます。

1.イベント等活動とそれ以外の「管理組合的活動」との違い
⑴建物の物理的管理
本件高裁判決も、例えば
「既に十分な明るさを備えており、通行するためだけのエントランスに、高額なシャンデリアを付ける」
「週3回の清掃で清潔さが保たれている一部の住民しか通行しない内廊下の清掃頻度を、週7回にする」
「10月も、外気温を問わず共用会議室の温度を20度に保つよう空調を稼働し続ける」
といった事柄も建物の物理的管理として「範囲内」と捉えるはずです。
もちろん組合員が個々の必要性を判断して総会決議によって採否を決するわけですが、「範囲内」である以上少数の反対者がいたとしても決議されれば実行可能です。
ただ、これらは建物の維持管理にとって必要不可欠とまではいえない「視覚的な娯楽・安心感・高度な快適さ」に関わるものであって、その点ではイベント等活動と大きな差はないでしょう。

⑵防災等活動
防災訓練・夜間の見回り・ゴミ拾いも同様です。
いくらつまらなくて参加者が少なく効果も乏しいとしても、本件高裁判決の理屈では防災等活動に該当し「範囲内」とされますから、反対者がいても決議されれば実行可能です。

⑶これら⑴⑵と
「老若男女が集まり交友関係が拡がり、挨拶が交わされ交流の場となることでエントランスの雰囲気が良くなり、建物の維持管理や役員活動への理解も広まって、役員立候補者が生まれるといった効果が生ずる契機となり得るイベント等活動」
とでは、どちらが「資産価値の向上」や「大災害が発生して行政が機能不全となった状況下で相互に安全確認を行い情報を交換し物資を共有して侵入者から身を守らなければならないという緊急時への備えとなる」とか「積極的・中長期的に役員として管理運営に関心を持つ人物の発掘に資する」といった効果を期待できるでしょうか。

このように、イベント等活動と建物の物理的管理や防止等活動の違いは相対的なものに過ぎず、前者の方がはるかに「有益である」ケースは決して少なくないと思います。
それにもかかわらず、本件高裁判決の理屈を突き詰めると、ギリギリ51:49の可決でもシャンデリアは物理的管理として設置できるのに対し、99:1で可決されてもイベント等活動だから夏祭りは行えない、という結論となりかねません。

これは不合理であって、「いずれも総会で決めればよい」というのが私の(そして、おそらく本件管理組合の)考えです(誤解していただきたくないのは、私(や本件管理組合)の意見は、あくまで「相対的な違いしかないのだから、多数決に従うべき」というものであり「いくら反対者が多かろうがイベント等活動を行うべき」というわけではない、という点です。)。

もっとも、これらは「管理組合がイベント等活動を行ってもよいのでは」という許容性の説明となるものの、「『管理組合が』やった方がよい」という必要性の説明としては少々弱そうですから、もう少し検討します。

2.管理組合による一元的な判断
上記のとおり、イベント等活動も建物の維持管理という「管理組合の目的」に資するものであるとすれば、次は「ある建物の物理的管理」と「あるイベント等活動」のいずれを(資金的・時期的・人員的に)優先して行うべきか、という政策的判断の段階となります。

つまり、前述した例である
「既に十分な明るさを備えており通行するためだけのエントランスに高額なシャンデリアを付ける」と
「老若男女が多く集まり知人・友人を多く作る機会となる夏祭り」
の、どちらを優先すべきか決めなければならない、というわけです。

このとき、組合員は「エントランスの物理的・雰囲気的状態」「役員を担う人物の数」「総会出席者の割合」「それぞれに要する資金・人員」「緊急性」といった要素を総合的に考慮して判断します。
ところが「シャンデリアは管理組合で、夏祭りは自治会で」と判断の主体を分けてしまうと上記のような判断要素も分断されてしまい、「優先順位」を適切に見極めることができません。
これに対し、判断要素が管理組合に集約されていれば、「組合余剰資金○○円のうち××円をシャンデリアに使い(その範囲で買えるシャンデリアを選び)、残額で実行可能な範囲の規模で夏祭りを開く」とか「シャンデリアは既存照明がまだ十分機能しているから来期に持ち越してもよいが、新規組合員・住民が急増したから早期に大々的な交流の機会を設けた方がよい」といった、合理性のある柔軟な判断がし易くなるといえます(もちろん、結論が逆の場合も同様です。)。

いかがでしょうか。
もちろん、これらが「決定打」といえるほどの論拠となるとまでは思いませんが、管理組合実務に関わる者として率直な考えを何とかまとめて(ひねり出して)みました。

私のような立場からは、本件管理組合やその代理人の先生方が良い結果を得られるよう祈り、最高裁の判断を検証するほかありません。
とはいっても、現実の管理組合運営はそれを待ってはくれませんので、次回はいよいよ「管理組合はどのように最高裁の判断を待てばよいか」という難題に挑む…かどうかはちょっと考えさせてください。