宇崎ちゃんが二子玉川と武蔵小杉のタワマンで献血する話ではありません

先日の台風19号で被害を受けられた方々やご遺族の皆様にお悔みとお見舞いを申し上げます。一日も早い復旧をお祈りいたします。

この台風による被害状況が徐々に明らかになってきておりますが、その中でも一際注目を集めているのが二子玉川付近での多摩川氾濫と、武蔵小杉のあるタワーマンションにおける設備(トイレやエレベーター)の不具合です。
そして、こうしたニュースを受けて、SNS(私が主に見ているのはTwitter)にて多くの方が二子玉川や武蔵小杉、そしてタワマンについて書き込んでいます。

その中でも目につくのは「二子玉川のような川沿いに住むのは〇〇」、「武蔵小杉は〇〇コスギだ」、「タワーマンションを買うなんて情〇」といった内容です。これらが合理的な根拠を踏まえての指摘であれば「批判」や「評論」といえますが、そうでなければただの誹謗中傷です。

ここでいう「根拠」には科学的根拠や統計的根拠などが含まれます。といっても、私は「専門的知識がなければモノを言うな、書くな」と言いたいわけではありません。

ある程度は自分で調べた上で、「調べていないことや調べても分からないことがある」ことを自覚し、それに相応しい内容を、相応しい書き方で書くべきだ、と考えています。
そして、私を含め上記のような専門的知識がない「書き手」であっても、大まかな「事実関係」は調べることが可能です。

例えば、台風発生後、ある有名ブロガーの方が、武蔵小杉のタワマンで発生した設備不具合について具体的な物件名を挙げて取り上げました。
ところが、その挙げられた物件は、実際に不具合が起きたのとは違う物件でした。
その物件の管理組合が直ちに公式に指摘したところ、速やかにそのブロガーは訂正記事を発信しましたが(その対応はさすがだと思います。)、一度誤情報が拡散されてしまうと悪影響はなかなかおさまりません(なお、この管理組合は独自の公式サイトやTwitterアカウントを備えており、その有用性についは別の機会に触れたいと思います。こうした「発信手段」があれば「反論」できますが、なければ風評被害は一層拡大してしまうでしょう。)。

また「今回の台風によりタワマンの脆弱性が鮮明になった」という論調も散見されます。
本当にそうでしょうか。武蔵小杉だけでも10棟以上、月島・豊洲有明・晴海・東雲・港南といった湾岸エリアのみならず都心や二子玉川にも多くのタワマンが建っていますが、台風19号によりトイレやエレベーターが使用不能になった物件はいくつあるのでしょうか。あるタワマンと、それと同エリアにある戸建てや低層物件とを比べると、被害の程度は前者の方が激しいのでしょうか。仮に20年(240か月)居住するタワマンで「数十年に一度の台風」により仮に1月トイレが使えなくなった(≠「使えなくなる」)ことが、どれほど資産価値に影響を与えるのでしょうか。実際、台風後に価格は下がっているのでしょうか。
なお、不具合が生じた武蔵小杉のタワマンでは、デベロッパー・管理会社が重要案件として取り組み、また多くの住民も一丸となって復旧に尽力している、と聞いています(私が信頼している筋の情報ですが、これを信じるか匿名掲示板の書き込みを信じるかは、お任せします。)

もちろん、これらの事情については現時点で分からないことがありますし、人によって評価が異なることもあるでしょう。ただ、こうした「分かることや分からないこと、人によって捉え方が異なることがある」を意識していれば、おのずと「書き方」も冷静になり、建設的な議論の素材とし易くなるはずです。

ここまでくどくどと述べていると「桃尾は管理組合の仕事をしているからポジショントークなのでは」と言われそうですが、まあそうです。確かに複数のタワマン管理組合の顧問を務めていますので(二子玉川はまだありません。ご相談をお待ちしております。)、タワマンへの不当な攻撃に一言言いたくなったわけです。私自身はタワマンに住みたいと思ったことはありませんし、住まいは(しょっちゅう湾岸タワマンと「対立」(?)している)世田谷のド低層マンションですが。

さて、この台風とタワマンとは全く別の問題ながら、同じように気になる話題がありました。これです。

こちらについても、いろいろな意見や感想があることでしょう。それをSNSで表明して議論することも当然「アリ」です。ただ、議論の前提となる事実関係は、やはりできる限り確認しておくべきです。

「『公共空間』といっても、このポスターが駅や公道や飲食店内などに広く貼られているのか、それともキャンペーン会場の入口やその中だけなのか」、「そもそも、このキャンペーンはどのような経緯・目的で実施されているのか」といった事情によっては議論のテーマが変わってくるはずだからです(「どんな事情があろうともこの絵そのものがセクハラだ」とか「とにかくキモイからキライだ」ということなら、それも一つのご意見です。)。

このポスターを「無神経」だとか「セクハラ」だとかという指摘は、こうした議論の土台作りを経ていれば「批判」といえますが、そうでなければ「誹謗中傷」ではないでしょうか(特に「セクハラ」という用語は法律的意味も絡んできます。)。
「批判」や議論は、例えばこういう実地報告を把握してからでも遅くはないと思うのです。

以前弁護士ツイッタラーの間で話題となったように、ある弁護士が、ある刑事事件の無罪判決報道に触れ、それを「批判」しようと思うならば、まずはできる限り判決の内容を確認し、全てが明らかにならないのであればならないなりの「書き方」で批判するはずであって、それと同じことです。

ところで、私はこのような「ターゲットを絞った広告」の方が「万民受けする広告」より効果的だと思います(今後もずっと宇崎ちゃんでいくわけではなさそうですし。)。万民受け広告で足りるのであれば、こういういらすとで献血がたくさん集まるはずですから。
献血のイラスト

吉本芸人の皆様へ -契約書(のようなもの)の作り方-

今回も懲りずに世間の話題に便乗してブログを書こうと思います。

ご存知のとおり「契約書」は2人以上で作成する合意文書です。
そして「合意」である以上無理矢理署名をさせることはできませんので、その相手がアカンといえば作成することができません。
聞くところによると、吉本興業所属の多くの芸人さんも同社と契約書を取り交わしていないようです。なお、実は弁護士業界においても勤務弁護士(いわゆるイソ弁)の皆がボス弁との契約書をバッチリ作成しているわけではないのですが(控えめな表現)、この話は色々とややこしくなりそうなのでお笑い芸人さんとその所属会社を例に話を続けます。

契約書がなければ、せっかく芸人さんが営業で頑張っても、ギャラの額やその支払時期がいつであるかがはっきりせず、不安な状態に置かれてしまいます。

ただ、ここで重要なことは「契約書が無い=何も決まっていない=会社が自由に決めても構わない=払わなくても構わない」というわけではない、ということです。
詳細は割愛しますが、殆どの契約は契約書を作らなくても成立します。そして契約が成立すれば法的拘束力を備えますから、会社には決まったギャラを決まった時期に支払う義務が発生するのです(他方芸人さんには「劇場でネタを披露する義務」や「街を歩きながら面白いことを言う義務」や「24時間笑わずに過ごす義務」が発生したりしなかったりします。)。

とはいえ、契約書が無く会社との口約束だけでは、後日「ギャラはいつまでにいくら払われる約束だったじゃないか」というトラブルになったときに「言った言わない」という水掛け論になってしまい、立場が弱い方(多くの場合はお金を受け取る芸人さん)が不利になってしまいます。
契約書は、こうした状況に陥らないよう「証拠」として作っておくものなのです。場を和ませるために作るわけではありませんし、ファミリーであってもこの必要性は変わりません。弱い立場にあればあるほど、ご自身の権利を確保するために契約書を作っておくべきです。

そうはいっても冒頭で述べたように、相手が応じてくれなければ契約書を作ることはできません。実際、弁護士をしていると、契約当事者間の力関係から「取引先が契約書を作ってくれない」とか「契約書の記載が実態と異なるのに修正してもらえない」というご相談をしばしば受けます。そして、こうした状況下でも収入を得るために、芸人さんであれば少しでも活躍の場を広げて人気を得て以後の仕事につなげるために、やむを得ず契約書を作らないまま仕事をせざるを得ないこともあるでしょう。

しかし、諦めることはありません。
確かに契約書の作成には相手の協力が必要ですが、契約書はあくまで「契約が成立した」ことを裏付ける「証拠」に過ぎません。
ということは「契約書のような証拠の役割を果たすものが他にあれば、契約書が無くても契約の存在を証明できる」はずです。
ちょっと何言ってんだか分かんないかも知れませんが、要するに「契約書以外の形で『ギャラをいつまでにいくら払う』と約束したことを記録に残せば良い」のです。

方法も簡単です。ヤホーで調べるまでもありません。少なくともスマホがある現在は、それがなかった頃に比べて格段に容易になったはずです。

「メール、LINE、メッセンジャーtwitterのダイレクトメッセージ…といった文字での交信記録を残しておく」だけです。
例えばこんな感じです(素人の想像ですから実態とは違うかも知れませんが。)。
「先ほどはお電話(or打合せ)を有難うございました。〇月〇日の××劇場での営業については、ギャラ△△円を×月×日までにお支払いいただけるとのこと、承知しました。何か誤解があればお知らせください。」
これに対し会社側から「そのとおり間違いありません」と返信があれば明確ですし、もっと簡単に「よろしく」だけでも「異議を唱えなかった」ことが裏付けられます。
もし、会社からの反応が電話だけであった場合には、再度「わざわざお電話をいただき有難うございました。先ほどお送りしたとおりで間違いないとのこと、承知しました。」と送信しておくわけです。

また「返信がない」「そもそも既読にならない」という場合にも「先日お送りしたとおりと理解しています。」などと念押しして送信しておき、これに加えて電話で確認をとり、それをスマホ等で録音しておけば良いのです(正当目的で合理的な方法であれば、こうした通話や会話の秘密録音が違法と評価されることはありません。「テープ回してないやろな!」と聞かれても気にしないでください。スマホならテープは回りません。もちろん、その録音を公開したりすれば事情は変わりますから、取扱いには十分ご留意ください。)。

契約書と全く同等というわけにはいきませんが、こうした「記録」が残っているのと残っていないのとでは、その後の交渉や訴訟における立場が全く異なります。「契約書のようなもの」として、貴重な証拠になるわけです。

いかがでしょうか。
もし既に深刻に悩んでおられる方がいらっしゃるなら弁護士にご相談ください(ただ、芸能問題のトラブルは、私は専門外です。)。
そこまでではないけれど取引先や所属会社との契約書が無く不満や不安があるという方は、とりあえず上記のような簡単な方法を始めておくと後で役に立つかも知れません。

オチが全く思いつかないのでここで終わりますが、最後に一言付け加えるならば、私はいつの日かキャイーンの天野君をリーダーとする「マンション大好き芸人」を見たいと思っています。

マンション管理の評価とは

ご無沙汰しています。
ブログを書かなきゃ書かなきゃと思いながらも本業が忙しく(ご存知の方もいると思いますが、私はマンション管理以外の仕事もしています。スプラトゥーンとか。)、前回記事から4か月も経ってしまいました。そろそろ寡作かつ遅筆ブロガーの仕事も再開しなければなりません。

そんな中、株式会社さくら事務所さん主催のセミナーにお邪魔して参りました。

「 管理の評価が経済的価値(価格・ローン審査・行政による補助等々)に反映されるマンション市場」を目指す長嶋さんと、登壇されたトップランナー理事長(イニシア千住曙町の應田さん、白金タワーの星野さん)の熱い思いがほとばしるセミナーでした。

「管理の評価が価値に反映されるからプレーヤー(売主・買主・不動産業者(仲介))が管理に関心をもつ」のか「プレーヤーが管理に関心をもつから価値に反映されるのか」は鶏と卵の話のようですが(多分同じこと言ってる)、いずれにせよ私も長嶋さんが掲げる目標に共感しますし、そのために努力し続けなければならないと思いながら今日も怪文書を読んでいます。

実際、長期間に亘り管理組合が機能不全に陥り、違法民泊が横行し、敷地の権利関係も曖昧で、滞納管理費等が1000万円を超え、それらの対策のため私が一時期お手伝いしていたマンションでも、立地の利便性が高いからか相場水準での取引が頻繁に繰り返されていました。
管理改善に尽力されていた理事の皆さんは「意外によく売れますね…私も売ってしまいたい」とこぼしておられ、「要するに多くの買主・仲介は購入に際して管理状況など気にしていない」のだと私も呆れていました。

しかし、実はこれも一面的な見方であろうと、セミナーで改めて気づかされました。
質疑応答の最後に、登壇者のお二人と並ぶほどのマンション管理の超重鎮であるミッキーさんから、次のようなご指摘があったのです。
※マンション管理に関心がある方、twitter(@micky_enu)やnoteのフォロー推奨です!

「(さくら事務所が新たに展開するマンション管理の評価サービスである)BORDER5は評価基準を設けているが、ファミリー、単身、DINKS、投資用等々、マンションにも色々あり、それらの評価基準は異なるべきではないか」

大変鋭いご意見であり、さくら事務所さんも賛同され、(現在はファミリー向けを想定しているとのご説明に加えて)今後は評価基準が妥当するタイプを明記したりタイプ別の基準を設けることも検討される、とのことでした。

確かに、上記お三方はトップランナー理事長という点で共通するものの、この方々だけを比べても、実は目指す管理組合の姿は全く異なります。
また、例えば一言で「ファミリー向け」といっても、一般的には「組合員による自主的・積極的な管理がなされ管理会社に過剰に依存していないこと」が高評価材料とされていますが、高品質な管理を安定的長期的に維持し、そのブランドを保つために、あえて管理権限を管理会社に集中させている超富裕層向け物件もあります。
そして、私が関与した上記マンションも、ほぼ投資用物件であることから(もちろん管理不全ではいけませんが)「いわゆる『充実した管理組合』」は必ずしも期待されていない(極論すれば、手間がかかったり、高額なランニングコストが生ずることは、個々の所有者にとっての資産価値を毀損しかねない)ため、取引に支障が生じていなかったのだと思われます。

このように、管理組合の評価は決して簡単ではなく、一面的・固定的な評価は却って市場の混乱を招いてしまうことでしょう。
しかし、それでもなお長嶋さんが掲げる目標はマンション管理業界全体として取り組むべきものですから、先駆者として困難な道を切り開いていただきたいと思います。

そしてこうした目標は、各マンションの所有者が管理に関心を持ち、それぞれの事情や特性に応じた管理体制実現のためにゆっくりでも歩き続けなければ決して実現しません。
けれど、歩き続けた努力が評価・価値への反映によって報われる時が必ず来るはずです。怪文書の応酬をしている場合ではないのです…。