管理組合と自治会におけるコミュニティ活動に関する東京高裁令和5年5月17日判決について_⑵

前回記事にて大事なことを書き忘れていました(先ほど、しれっと加筆しておきました。)。マンション管理新聞によると、本件高裁判決について「双方ともに上告する考え」であるようです。

では、双方当事者は、最高裁においてどのような主張を展開するのでしょうか。
率直に言って、私は本件高裁判決に納得していませんので、本件管理組合の視点で検討してみます。

前回記事の「本件高裁判決の判断」「争点③」をご覧いただけば分かるように、本件高裁判決の「肝」は、
>争点①
>イベント等活動が、区分所有法3条の「管理組合の目的」の「範囲内」であるか否か
にあります。
争点①の結論が維持されたのであれば、争点③の結論もほとんど維持されたはずです。

両判決の争点①に係る結論を比較してみます。
>本件地裁判決の判断
イベント等活動も、その目的・内容によってはマンション・周辺環境の維持向上に資する活動として「範囲内」となる場合があり得る。
>本件高裁判決の判断
⑴イベント等活動は、専ら地域住民の親睦を図るのが目的であり、イベント参加者という一部の者のみが利益を享受するものである。
⑵イベント等活動は「範囲外」である疑いがある。

本件管理組合は、この点に係る本件高裁判決の不合理性を最高裁に理解させなければなりません。
難しいのは「イベント等活動の意義」自体をいくら主張してもあまり意味がなく、それを「自治会ではなく管理組合が、その決議に基づき、決議反対者の意思に反してでも、その資金を使って」行うことの意義を説明しなければならない、という点です。
というのも、本件高裁判決も「イベント等活動が有害である」とは述べておらず、おそらくそれらが「地域住民にとって有意義であること」は否定していないからです。

本件管理組合代理人の先生方が既にご検討されているでしょうから大変僭越ではあるのですが、私なりに考えてみます。

1.イベント等活動とそれ以外の「管理組合的活動」との違い
⑴建物の物理的管理
本件高裁判決も、例えば
「既に十分な明るさを備えており、通行するためだけのエントランスに、高額なシャンデリアを付ける」
「週3回の清掃で清潔さが保たれている一部の住民しか通行しない内廊下の清掃頻度を、週7回にする」
「10月も、外気温を問わず共用会議室の温度を20度に保つよう空調を稼働し続ける」
といった事柄も建物の物理的管理として「範囲内」と捉えるはずです。
もちろん組合員が個々の必要性を判断して総会決議によって採否を決するわけですが、「範囲内」である以上少数の反対者がいたとしても決議されれば実行可能です。
ただ、これらは建物の維持管理にとって必要不可欠とまではいえない「視覚的な娯楽・安心感・高度な快適さ」に関わるものであって、その点ではイベント等活動と大きな差はないでしょう。

⑵防災等活動
防災訓練・夜間の見回り・ゴミ拾いも同様です。
いくらつまらなくて参加者が少なく効果も乏しいとしても、本件高裁判決の理屈では防災等活動に該当し「範囲内」とされますから、反対者がいても決議されれば実行可能です。

⑶これら⑴⑵と
「老若男女が集まり交友関係が拡がり、挨拶が交わされ交流の場となることでエントランスの雰囲気が良くなり、建物の維持管理や役員活動への理解も広まって、役員立候補者が生まれるといった効果が生ずる契機となり得るイベント等活動」
とでは、どちらが「資産価値の向上」や「大災害が発生して行政が機能不全となった状況下で相互に安全確認を行い情報を交換し物資を共有して侵入者から身を守らなければならないという緊急時への備えとなる」とか「積極的・中長期的に役員として管理運営に関心を持つ人物の発掘に資する」といった効果を期待できるでしょうか。

このように、イベント等活動と建物の物理的管理や防止等活動の違いは相対的なものに過ぎず、前者の方がはるかに「有益である」ケースは決して少なくないと思います。
それにもかかわらず、本件高裁判決の理屈を突き詰めると、ギリギリ51:49の可決でもシャンデリアは物理的管理として設置できるのに対し、99:1で可決されてもイベント等活動だから夏祭りは行えない、という結論となりかねません。

これは不合理であって、「いずれも総会で決めればよい」というのが私の(そして、おそらく本件管理組合の)考えです(誤解していただきたくないのは、私(や本件管理組合)の意見は、あくまで「相対的な違いしかないのだから、多数決に従うべき」というものであり「いくら反対者が多かろうがイベント等活動を行うべき」というわけではない、という点です。)。

もっとも、これらは「管理組合がイベント等活動を行ってもよいのでは」という許容性の説明となるものの、「『管理組合が』やった方がよい」という必要性の説明としては少々弱そうですから、もう少し検討します。

2.管理組合による一元的な判断
上記のとおり、イベント等活動も建物の維持管理という「管理組合の目的」に資するものであるとすれば、次は「ある建物の物理的管理」と「あるイベント等活動」のいずれを(資金的・時期的・人員的に)優先して行うべきか、という政策的判断の段階となります。

つまり、前述した例である
「既に十分な明るさを備えており通行するためだけのエントランスに高額なシャンデリアを付ける」と
「老若男女が多く集まり知人・友人を多く作る機会となる夏祭り」
の、どちらを優先すべきか決めなければならない、というわけです。

このとき、組合員は「エントランスの物理的・雰囲気的状態」「役員を担う人物の数」「総会出席者の割合」「それぞれに要する資金・人員」「緊急性」といった要素を総合的に考慮して判断します。
ところが「シャンデリアは管理組合で、夏祭りは自治会で」と判断の主体を分けてしまうと上記のような判断要素も分断されてしまい、「優先順位」を適切に見極めることができません。
これに対し、判断要素が管理組合に集約されていれば、「組合余剰資金○○円のうち××円をシャンデリアに使い(その範囲で買えるシャンデリアを選び)、残額で実行可能な範囲の規模で夏祭りを開く」とか「シャンデリアは既存照明がまだ十分機能しているから来期に持ち越してもよいが、新規組合員・住民が急増したから早期に大々的な交流の機会を設けた方がよい」といった、合理性のある柔軟な判断がし易くなるといえます(もちろん、結論が逆の場合も同様です。)。

いかがでしょうか。
もちろん、これらが「決定打」といえるほどの論拠となるとまでは思いませんが、管理組合実務に関わる者として率直な考えを何とかまとめて(ひねり出して)みました。

私のような立場からは、本件管理組合やその代理人の先生方が良い結果を得られるよう祈り、最高裁の判断を検証するほかありません。
とはいっても、現実の管理組合運営はそれを待ってはくれませんので、次回はいよいよ「管理組合はどのように最高裁の判断を待てばよいか」という難題に挑む…かどうかはちょっと考えさせてください。